先日、秋冬の服をゴミ袋一袋分手放しました。
最近は、できるだけ役目を終えたと判断した服は、間を置かずに手放すことにしています。なんとなく後ろ髪がひかれるならば、感謝の意を込めてしばらく「寝かせて」おいてもかまわないと思います。
ただ、これだけは言えます。一度でも処分が脳裏をよぎった服は、処分が正解なんです。それは自分が一番わかっています。手放す必要がない服は、一瞬でも「処分」の文字が浮かぶことはありません。
処分か保管か迷うのは、自分が正解を知っているけれど、「常識」や「後悔」を恐れるからです。私がそうでした。
処分の結果が出る服は、迷った分だけ家の中を混乱させます。処分という決断を下しさえすれば、一歩前進できます。ところが迷い続けている間は、何度も同じ問いに翻弄されます。
たいていの場合、一瞬でも処分を思った服は、99%の確率で処分の結果を見ます。迷っている間は判断のキャパを奪い取られ続けます。
一方で決断を出した場合は、あきらめがつきます。同時に、今後は処分に至るような服の傾向を学ぶことになります。
捨てることになった服は文字通り重いです。服は本当に重い。ゴミ袋に入れたとき、こんなに重いものを迷い保管しつづけたことに、おどろきます。
春は気分が一新する時期です。だから自分を停滞させるようなことは、服を含めて手放したほうがいい。そして新たな一歩に踏み出すほうが断然楽しい。
ではなぜ、溜め込んでしまうかといえば、それは思うに変化への恐れなんでしょうね。新たな一歩を踏み出すならば、捨てる痛みも自分が受け入れる。それは当たり前のことで、そうしてこそ、前に進めるのだと思っています。