はじめに
今回は、ミニマリストを通して働くことに関するお話をします。
ミニマリスト的生き方を選ぶ理由として、働くことの考え方がベースになっていることがあるようです。
もくじ
- はじめに
- もくじ
- 「ミニマリストになれば労働は少しでも生きられる」への世間の反応
- ストレス耐性の有無と個人差
- 「働くことが辛いか辛くないか」の根底にあるもの
- 労働そのものより、労働の背景が苦痛と感じるのでは?
- 「働きたくないミニマリスト」の根底にある理由
- 働くのが好きなミニマリスト
- なるべく働きたくないミニマリスト
- それぞれの良しあしを判断するのはヤボというもの
- 「働くのが好きなミニマリスト」も「働きたくないミニマリスト」も価値がある
- さいごに
「ミニマリストになれば労働は少しでも生きられる」への世間の反応
2015年ころ、ミニマリストという言葉が注目されたとき、共感する人がいる反面、非難めいた空気も多くありました。
ミニマリストへの好意的な視点
まず、好意的な視点としては、
・収入が減っても充実した暮らしが可能
・ものを厳選するのですっきり暮らせる
・本当にやりたいことが見える
・・点にあると思われます。
ミニマリストへの批判的な視点
一方で、批判的な視点もあります。その背景はまず、見た目のインパクトや身近な人に持たないことを強要するのではないかという視点があります。
他には仕事や収入の関するミニマリストの考え方にもあります。主な理由は、
「ミニマリストになれば、労働は少しでも生きられる」
という価値観に対する疑問符だったのだと思います。要は、だれかほかの人が苦労して生み出したものを、いいとこどりしてるだけ(と思われる)点だと思われます。
今回は、ミニマリストに対する批判的な視点のうち、「働き方」や「収入」に対する価値観について触れてみたいと思います。
ストレス耐性の有無と個人差
結論を言うと、ミニマリストであるかどうか以前に、人にはそれぞれ、ストレス等に対する耐性の個人差があるのではないかと考えます。
それが、より働こうとするか否かの行動にも現れるのではないかという推測です。
- 例えばAさんは、毎日満員電車に揺られ、朝早く出勤して、夜遅く仕事が終わり、同僚や上司と飲みに行くことが苦にならないタイプ。もちろん、多少義務感や疲労を感じていても「まあ、仕方ないかな」とやりごせるタイプです。
- 一方でBさんは、そもそも下戸で、酒の席は苦痛でしかない。それでも顔を出したり、盛り上げ役に回るなど努力をしては見たけれど、心底飲みを楽しんでいる人にはかないません。また、通勤電車での人込みが苦手で毎日が戦闘対戦。体力もあまりないので、仕事に加え、人間関係を回そうとすると疲労で体力が持たないタイプです。
ところがこうした違いは、個々の耐性ではなく、努力が足りない、配慮が足りないなどとして、評価されることがほとんどです。
結果としてストレス耐性の少ない人は、高い評価を受けにくく収入も低くなる傾向が出ます。
最終的には、少ない収入が元で、様々な機会を得る機会も失われやすくなるでしょう。結果としてこうした人たちは、弱者と表現されることもあります。
「働くことが辛いか辛くないか」の根底にあるもの
働くことは、単純に労働そのものである以前に、労働にまつわる背景が大きなストレスになることもあります。
働くことそのものについては、誰でも多少の肉体的疲労や緊張感が伴います。でも実は、多くの人が感じる働くことの辛さに感じるのは、労働そのものではないようです。
働くことが辛い労働以外の理由
- 通勤
- 人間関係
- 束縛時間の長さ
- 副業不可
例えば通勤ひとつにしても、疲労と苦痛があります。朝早く起きて家を出る。満員電車に乗る。これだけでもかなりの苦痛が伴います。
また、働いていれば必ず避けて通れないのは、人間関係です。仕事は簡単にやめられないし、いろんな人がいるからこれもまたストレスです。
仕事そのもの以外にも、勤務外の飲み会があったりもします。
また、仕事を通した束縛時間が長すぎる点も、働くことを苦痛に感じる要素になります。
平日は月曜から金曜まで、仕事は最低一日当たり7~8時間、飲み会、親睦のための集まりなどを含めれば、会社に勤務して拘束される時間はかなりあります。
本来、適度な労働と拘束時間を受け入れていても、一般に成果を上げる働き方をするには、勤務先に相当な時間を拘束させる必要が出ます。
また「副業不可」としている企業は多く、勤務先以外の場を得られないことでますますストレスが増加しやすくなります。
職場以外の環境があれば、違う価値観に触れられて気分が変わる機会があるかもしれません。ところが副業不可の規則は、その人の逃げ場をなくします。するとますます追い詰められて「働きたくない」という結論をだしてしまうことでしょう。
その辺をどの程度受け入れられるかで、結果は「働くことが好きかどうか」というオチに結び付くんですよね。
労働そのものより、労働の背景が苦痛と感じるのでは?
本来、働くことはある程度受け入れられても、背景にある部分をどの程度受け入れられるかで、その人の「働くことが好きか嫌いか」の結論になってしまうのです。
つまり、多くの場合は働くことそのものを全拒否する人は、そういないと思うのです。
一方で、労働そのものではなくて、労働したときにくっついてくる背景の部分、通勤、人間関係、長すぎる拘束時間、といった点を受けれがたいと感じる人が「働くことが嫌いだ」という結論に客観的にも結論付けられているのではないでしょうか。
「働きたくないミニマリスト」の根底にある理由
「働きたくないミニマリスト」の根底にあるのはつまり、労働そのものというよりも、働くともれなくついてくる、それ以外の苦痛、
- 通勤
- 人間関係
- 束縛時間の長さ
- 副業不可
を避けたいという理由で結果「少ししか働きたくない」と結論を出しているのではないかと推測します。
同時に、こうした人たちはいわゆるストレス耐性や体力が弱い傾向にもあるのではないかと。ところがこうしたことは、一般に個人の努力の有無で片付けられてしまいます。
これまで、「なるべく働きたくない」行動をすると、住環境やライフスタイルは限られたものになる傾向があったわけです。
ところが発想を180度変えて、ミニマリストの生き方をすれば、お金をかけなくても、しあわせな生き方はできると気づいた人たちが現れました。
きっかけがお金の有無とは限りませんが、無理に辛い仕事を長時間やらなくても、「ミニマリストの生き方をとれば、十分しあわせに生きていける」というのが多くのミニマリズムの根底にあるものだったといえます。
働くのが好きなミニマリスト
働くことが結果として「苦手」なミニマリストに対して、「働くのが好きなミニマリスト」もいます。こうした人たちは、モノを減らし目的を達するために、とことん不要なものを排除します。
スティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグ、バラク・オバマ、堀江貴文・・このような方は、多くの実績を残したミニマリストです。もちろん、彼らなりに多大な努力をしていることは、言うまでもありません。ミニマリストであり働き者で努力家です。
こうした方たちは、働かないなんてことは考えられないでしょう。つまり「働くのが好きなミニマリスト」です。
なるべく働きたくないミニマリスト
一方で、働きたくないミニマリストは、各自の能力に関係なく、「できるだけ働かずにのんびりしていたい」と考える人です。
一見、著名人はいなさそうな気がしますが、多数の著書を出しているphaさん(最新の著書 人生の土台となる読書――ダメな人間でも、なんとか生き延びるための「本の効用」ベスト30)や、大原 扁理さん(主な著書 年収90万円でハッピーライフ (ちくま文庫)などは、強引な見方をした場合、「一般的な意味での労働はなるべく短く」という考え方の方々です。
それぞれの良しあしを判断するのはヤボというもの
つまり結論を言うと、「働くのが好きなミニマリスト」も「働きたくないミニマリスト」も、それぞれの個性に過ぎないということです。
ところが現状は資本主義社会なので、よりお金を生み出し稼いだ人が称賛されるのは当然です。同時に「働くのが好きなミニマリスト」は多大な努力を惜しみません。
一方で「じゃあ、働きたくないミニマリスト」がよくないのか、というと全くそんなことはないのです。
どちらの生き方も「たまたま」なのです。結果として称賛されるミニマリスト(スティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグ、バラク・オバマ、堀江貴文・・)は資本主義社会の価値観に合致した成功者です。
一方で、資本主義社会に反するかのような価値観の声なきミニマリストたちも、多様な価値観のひとつであり、どちらも善しあしで判断するものでは決してないのです。
もともと、人間は働きたくない生き物。なるべく楽をして暮らしたいと考えるのは自然なことです。何せ体力などの限界を超えたら体を壊します。自分の生命を長く維持するには、余計なことはしないで温存させようとするのは当然です。
一方で様々な工夫をしてリーダーシップをとりながら、常に行動をとり続ける人も一定数存在し続けています。
つまり「働くのが好きなミニマリスト」も、「働きたくないミニマリスト」も、どちらも当然の考えであり、意味があるのです。
「働くのが好きなミニマリスト」も「働きたくないミニマリスト」も価値がある
肝心なのは、その傾向に意味づけをして優劣の判断をする無意味さにあります。両者の価値観は個人の違いと同じく、単なる違いにすぎません。
ただ現実は貨幣を得て生活することが基本になっています。だから貨幣の習得量と考えについては、あくまで各自の価値観によるとしか言えません。
「働くのが好きなミニマリスト」も「働きたくないミニマリスト」も価値があるのです。どっちでもいいのです。
さいごに
ただ、現時点の日本の価値観では「働きたくないミニマリスト」は生きづらさを感じることになります。けれどもミニマリストの生き方をすれば、生きやすくなります。少ない貨幣でも苦痛なく生きられるからです。
大事なのは、たまたまの個性に過ぎないことに他人に対しても自分に対しても優劣で判断して苦しめたり苦しんでしまうことです。
そうした無意味なところで価値を測らないことが、「働くのが好きなミニマリスト」にも「働きたくないミニマリスト」にも必要なことでしょう。