カフェで作業したり読書したり、のんびり過ごすのが好きな人は多いですよね。
カフェには自分以外の人がたくさんいますが、それらの人は赤の他人で、コミュニケーションをとる必要はありません。でも、一人じゃない。
テーブルやイスは必要最小限だし、メニューもレストランみたいにたくさんはありません。
でも、そこで過ごしてしまうのは、一人なんだけど一人じゃない、絶妙な距離感が心地良いからなのでしょう。
自宅はどうしてもマンネリしがち。でも旅行とか大それた外出じゃなくても、カフェに行くくらいなら、手軽に気分転換できます。
でも、ふと思ったのです。
「カフェなどの自宅以外で過ごすのが心地いいなら、そもそも『自宅』は必要最小限でいいんじゃ?」
最近、ちょっと驚いたことがありました。それはベストセラーを何冊も出版していて、おそらくご自宅にも十分な仕事部屋がある著名な方のお話です。その方が庶民的なカフェをよく利用していると言っていたことです。
やはり、どんなに恵まれた環境に住んでいても、自宅以外に居場所を求めるものなのでしょうね。気分転換は誰にとっても不可欠なのかもしれない。
人はマンネリが苦手です。その感じ方は個人差があるだろうけど。同時に一人より他に人がいるほうが落ち着くこともあるのかもしれません。その「ほかの人」はご近所さんとか同僚みたいに気を遣う相手じゃないのが、ちょうど良いのかもしれない。
また自宅だといくらでもサボってしまえますが、カフェに行けば何かをするという目的を実行する強制力があります。
そこであらためて気づいたのですが、
「大きな住まいなんて、ますます要らないのではないか」
ということです。
その代わりカフェみたいなスペースは、もっと増えれば楽しそう。でも、公民館みたいに地域のコミュニティなどが入ってしまうと正直、わずらわしくもなるものです。
一方でカフェならば、あくまで周りにいる人は「たまたま隣り合った人」です。基本的に会話を交わす必要はありませんし、交流も不要です。でもそこにいる自分は、「この店にいる客」として店からは歓迎される存在なので、承認欲求も満たされます。
大きい家や豪華な住まいなんてたいして要らなくて、必要なのはカフェのような空間。そのためにはある程度の人口密度が必要になりますが、「付かず離れず」が心地いいと感じます。
そもそも日本国内は、赤の他人でも日本人同士だというだけで、阿吽の呼吸というか共通の安心感があります。だから密なコミュニケーションを取らなくても、カフェが心地いいのかもしれません。
ちなみに筆者は、現在はあまりカフェを利用しません。頼んだメニューにもよりますが、平均して滞在時間は30分ほどです。今はコロナだから長居しないようにしているということもあります。
カフェって場所にもよりますが、実は毎日通ってしまえば、トータルでは結構な金額になります。一日千円カフェに使えば一か月で三万円です。三万円といえば例えば賃貸なら、グレードが1段階上の選択肢ができてしまう価格差です。
都心は家賃が割高ですが、カフェは田舎も都心も基本価格は同じです。ということは都心のカフェ利用はコスパがいいという見方もできます。銀座のスタバも田舎のスタバも価格は同じ。
例えば最近「スターバックス 地元限定『47JIMOTO フラペチーノ』」が登場しましたがお値段はTallサイズ店内税込682円、テイクアウト(持ち帰り)税込669円だそうです。
銀座に住むのは現実的なことではありませんが、銀座のスタバになら誰でも数百円で堂々と滞在できてしまいます。
ということは、カフェで過ごすのが好きなのであれば拠点の住まいは必要最小限にして、様々なカフェを使える環境を優先すると楽しいかもしれません。