ふと、もう一度読みたくなったのは、少し前に手放した本です。
私が持っていたのは単行本でしたが、そのあと文庫化されていますが、新刊の販売はされてないのでした。
それでアマゾン経由で中古本を取り寄せました。レビューによると文庫本は「巻末に対談が添えられてある」そうです。そこで文庫本を選びました。
届いた本を確認すると、「そで(表紙を折り返した部分)」に文庫発行時点の著者の似顔絵が別に添えられていました。
元の絵の似顔絵より、顔の輪郭がまん丸くなり、丸刈りでほうれい線が描いてあります。単行本発行時点とその時点(平成27年)とで容貌が変わっていることを表現したのでしょうか。
単行本には表紙の半分ほどある帯に、「超断捨離の世界」という文字が添えられていました。今ならミニマリストにあてはめられそうですが、当時は物を持たない人を指す言葉がなかったからですね。
この本に出合ったのは、今は閉店してしまった書店で「何か面白い本はないかな」と思ってぶらぶら見ていた時でした。
棚差し(平置きなどではなく普通に書棚に差すように、並んで売られている本)されていたこの本に目が留まりました。気になったのでパラパラめくると、「なんだこの本は」と衝撃を受けました。
そしてドキドキするような、興奮に近い気持ちでレジに向かったのです。この本にひかれたのは、物を持たないことそのものではなく、周りの価値観がどうとかメリットがどうとか一切関係ないことです。
淡々とした流れなのに、じわじわと笑いを誘われます。簡単に言えばシュールな笑いというのでしょうか。
それからさらに数年たち、ミニマリストブームが発生。その時にこの本は少なからず注目されたようです。けれどもそこまで、であり、大きく話題になることもありませんでした。
文庫の中身ですが、本文や冒頭の写真のページは同じでした。
まず、気になっていた「巻末の対談」は、なぜか著者の中崎タツヤさんではありませんでした。「断捨離」のやましたひでこさんと、イラストレータ南伸坊さんの対談でした。
著者ご本人は対談されていませんでしたが、期待通り面白い対談でした。とくに注目したのは、やましたひでこさんの、鋭い眼力です。
会ってはいないのに、もしかするとご本人以上に中崎タツヤさんのことをわかっていらっしゃるような感じでした。
断捨離とはもともと、ヨーガが発端らしいので、そうしたことも関連しているのでしょうか。
さて、この本を買いなおした理由は、特に後半記載の内容をもう一度読みたいと思ったからです。改めて読んでみると、まさに知りたかったことがここに書いてありました。
もちろん、さらりと書いてあるだけだったのですが、「こんなこと、書いてあったかな」と、何度も読み返したつもりが、まったく読めていなかったことに気づきました。
人は「自分が関心のあることしか見えていない」といいます。これは見えること以外にも読む本にも起きると気づきました。
以前、何度も読んだのに読んでいなかったのです。その証拠に、あることに興味を持ち、この本にそれが書いてあったと思い出し、取り寄せて読み直してみたら、忘れたのではなくて当時は興味がなかったので、読んでるけど読めていなかったというわけです。
いずれにしても、この本は幾度となく筆者に何らかのエネルギーを発しているようです。