
はじめに
60代を目前に控えた50代女性の筆者です。実は10年位前、徹底的に身の回りの余計な物を捨てまくりました。その中の一つが紙の写真です。今回は、「手持ち写真の9割を処分して良かったと痛感している話」をします。
9割の紙写真を捨てて良かったこと、1・脳のキャパができる
9割の写真を捨てたら、もう写真の整理や捨て作業のことを考えなくて良くなりました。物事は解決するまで同じことを繰り返し考えるものです。こうしたことは、脳を疲弊させてキャパを奪います。単に写真の物理的な整理の手間にとどまらないのです。
9割の紙写真を捨てて良かったこと、2・今に生きることを重視するようになる
9割の写真を捨てて、過去ではなく今を大事にしようと思うようになりました。50代になれば特に女性は若いころの容姿が衰えるので過去の自分と比較しがちです。
けれども誰にでも老いは起きるものです。生まれた瞬間から老いに向かって進んでいるとも言えます。
9割の紙写真を捨てて良かったこと3.写真整理より大事なことがあると気づく
写真があるとその整理に追われます。けれども限りある人生、写真整理よりも大事なことがあります。
整理や捨て作業に貴重な時間をうばわれず、もっと重要なことに割いたほうが有意義な時を過ごせるでしょう。
データの写真も基本は同じ
現在は写真といえば、データですから、物理的なスペースに関係なく保存ができます。ですが当時、手持ちの写真はほぼ紙の写真でした。そのときに段階を経て結果9割の写真を捨てました。現在、データで物理的スペースをとらなくても、余計な写真データの存在は、紙写真同様に心をざわつかせ混乱する原因になります。
なぜ写真を捨てたのか
写真を捨てた理由は、単純にお荷物になるからです。引っ越しのたびに段ボールに収める写真のカサと重量はバカにならない量でした。
そもそもですが、写真は撮影すると存在が残る物になるますが、初めから撮影していなければその光景は消えてなくなる現象です。ところが撮影をして保存してしまうから、あとでその保管に頭を悩ませることになります。
写真は何度も見直しをて、段階を経て処分しました。ところが最終的には
「子供が生まれて以降の一部があればいい。」
という結論に落ち着きました。夫は今どきの「ガジェット好きパパ」ではないので、写真を撮るのは筆者だけでした。だから自分の判断で写真は捨てたり保管したりを問題なくできました。
ただ、子供が生まれて以降の写真は
「もしかしたら本人が将来、欲しいと思うかもしれないし。」
と考え、残しました。ただしこれも、厳選した写真に徹しています。当時、無印良品の3ファイル1セットのアルバムが売っていたのですが、それ1冊分プラス1冊、合計2種類のアルバムと、写真館で撮影した七五三の写真だけです。
自分の子供のころの写真は、はじめは保管する予定でしたが、段階経ているうちに
「いや、別になくてもいいでしょ。」
と考え、結局捨てました。
思い出すきっかけがあればいい
写真は思い出すきっかけがあれば十分です。ところが撮影するときは、例えば子供の運動会などは「撮影しないと損」のような感覚に走りがちです。一番大事なのはその瞬間をリアルタイムで感じて体験することです。ところが撮影に集中すると肝心なその瞬間のリアルが二の次に追いやられます。
もっとも、商業的な目的がある場合や、撮影そのものを楽しんでいる場合は別です。筆者の手持ち写真は、もともと良い瞬間を記念的に撮影したものです。ですが月日の経過とともに、その数が増えすぎたり、似たような写真が重なったり、さらには本来は存在しないで消え去るものが「貴重な写真」という物理的存在に姿を変えて暮らしを圧迫していきます。
全捨てはやりすぎではないのか
とはいえ、全捨てはやりすぎではないのでしょうか。確かにもう少し位は残すのが「フツー」なのかもしれません。もちろん、写真を減らすとはいっても、その程度や処分の範囲は個人の判断次第です。
ただ、写真を全捨てした当時の筆者は、とにかくスッキリしたかった。それが我が子に及ぶ範囲においては、フツーを貫きました。
けれども自分に関する範囲においてはときに、思い切りもアリなのではないかと考えました。けれども実際はそんな風に深刻に考え抜いて処分したわけではありません。段階を経ているうちに
「別になくても困らないな。」
と気づいたので、以後はバッサリ捨てただけです。
あの時決断して良かった
そのあと後悔したかどうかですが、たまに「いや、あの写真あたりはとっておいても良かったか?」と思うことはたまにありました。けれども劇的な思いではありません。
ただ、こういう感情はキリがありません。結局、何度か「やっぱり・・」と思う気持ちを少し抱きつつも、何度か繰り返すとすっかりなくなってしまうものです。つまり結論は後悔なし、むしろ「あの時決断して良かった。」と思っています。
結局、いつか誰かが処分しないといけない
写真は結局のところ、いつか誰かが処分しないといけません。要はその処分を誰か他の人に任せるか、それとも自分でするか、それだけの違いです。
誰しも自分が一番大事で一番かわいい、だからその写真も自分にとって貴重なものです。もちろん、自分に関連するほかの人が、貴重に思う人もいるかもしれません。けれどもそのまたその人に関する写真も、いつか誰かが処分しないといけないのです。
一見、「自分の写真を全捨てする」という極端な行動に思えることも、実は一歩引いて時間軸を少しずらしてみると、特に極端な行為ではないことがそれでわかると思います。
写真整理がいらないだけで、わずらわしさが消える
写真整理画いらないだけでも、わずらわしさが消えます。時々あちこちで写真整理の話を見聞きしても自分には無関係な話です。ところが写真がたまってる人は常に「いつか整理しなくては」という緊迫感を得るでしょう。
人生は写真整理に費やすよりも、もっと貴重なことに時間を割いたほうがいい。写真は本来存在しないはずの現象ですが、それを写真という物に仕立て上げてしまったせいで、かえって整理したり処分を悩んだりという、手間を強いられているのです。
いったん、思い切りが大事
写真は一般的な物と違い一度処分したら取り返すことができません。けれどもこの世の中に基本的に普遍のものはありません。この体でさえそうなのです。
紙やデータとしての写真を残した場合、「ある」だけで脳のキャパを奪われます。物理的に存在しなくても、バッググラウンドで写真のことを考えているんです。
今の自分に一番大事なことは?それは過去ではなく「今、このとき」を生きることなんです。そのためにはある種の思い切りが必要です。
一度思い切ったら、そのあとはもう、写真のことを考える必要がなくなります。するとバッググラウンドで動いていた写真のことを考えなくてよい分、心が頭が軽くなります。
まとめ
- はじめに
- 9割の紙写真を捨てて良かったこと、1・脳のキャパができる
- 9割の紙写真を捨てて良かったこと、2・今に生きることを重視するようになる
- 9割の紙写真を捨てて良かったこと3.写真整理より大事なことがあると気づく
- データの写真も基本は同じ
- なぜ写真を捨てたのか
- 思い出すきっかけがあればいい
- 全捨てはやりすぎではないのか
- あの時決断して良かった
- 結局、いつか誰かが処分しないといけない
- 写真整理がいらないだけで、わずらわしさが消える
- いったん、思い切りが大事
- まとめ
- さいごに
さいごに
今回は、60代目前50代女性筆者が「9割の写真を捨てて良かったこと3つ・紙もデータも持っていれば負担は同じ」という話をしました。参考になればうれしいです。