今、真っ先に捨てたほうが良いと思うのは、無意味な競争です。
今、最も不要だと思えるのは「競争」です。
— ちゃくま@簡単に暮らせ/ミニマリスト志向 (@chakuma_kurase) 2020年8月22日
いや、良い意味での競争もあるけど、特に人同士が競争したり比較する事の無意味さを痛感します。
競争はしょせん、似た者同士でささいな違いに一喜一憂しているだけ。宇宙人レベルで見るとどう見えているか?と想像するとバカバカしいことがよくわかります。
良い競争
もちろん、良い競争もありますよ。
例えば、お菓子作りが好きで趣味にしている人が、「こういう味にしたい」というイメージの追及をしていて、だんだんそれに近づけるためのステップ的な競争です。つまりは自分の中での競争です。
または、それぞれがお互いを高めあう、良い関係を保っていて、同じ資格試験合格を目指していて、そのためにより良い学習法や、資格を生かしてより多くの人を幸せに導くような競争です。
競争の激しいものに価値があるとは限らない
ところが現在、多くの場面において競争がお互いの心の余裕をなくしたりする事例が増えていますよね。
そもそも現在の多くの場面でなぜ競争が必要になってしまうかというと、それは希望者が1つに集中するからですよね。
なぜ集中するかというと、みんなが「これがいい」と思ったものは価値があると思うからです。だから競争の激しいものが価値があるわけではない。
ところがなぜか、「競争の激しいものこそ価値がある」と錯覚しやすいんですよね。
競争は原始的な本能のなせるわざ
考えてみれば競争をするというのは、例えば肉食動物が草食動物を捕獲して生存するための競争の原理と似ています。
ということは競争というのは実は原始的なシステムなのではないでしょうか。競争をして生き残った者が、必然的に世の中全体にとって都合のいいものとなるということなのであれば、それはもう、古い世界であり過去のものだと思うのです。
これからの世界は多様な価値観が並行する
今は、1つの事柄に集中せざるを得ないような世の中ではありません。多数の事柄が並行して進行していて、それが多数であるか少数であるかは関係ないのです。
なぜなら単純にインターネットがあるし、AIも一般に向けて普及するとすれば、多数の人が求めているかどうかとは無関係です。場所にも左右されません。
誰かと比べる世界はもう古い
つまり私たちはこれからにおいて、誰かと比べる必要はもうないんです。のんびりマイペースで自分が思う道を進めばいい。
そして競争は勝者が1人だけという欠点があります。勝利した人はその時は良いのですが今度はそれを維持するのが大変で気力を消耗します。
猫にできて人にできないはずはない
猫がのんびり好きな時に昼寝をしたり、好きな時にエサを食べるように過ごせばいい。「それでは食えない。」
というのは誰かに押し付けられた恐怖という名の幻想です。現に猫はのんびり暮らしています。猫にできて人にできないはずはありませんよね。