春は行事が多いので、他人目線を優先した服を選ぶ機会は多いですね。確かに世間のフツーを目安にすれば大きく外す心配はありません。けれども過度な「右ならえ」の服選びは、そろそろやめにしようと思うのです。
例えば就活生のスーツは、いつからブラック無地に統一されたのでしょうか。無難なスーツを選ぶならネイビーやグレーもありますよね。ブラック無地の採用率が高いとか何らかのデータが根拠にでもなった経緯があるのでしょうか。
私は地方の出身ですが、その地は異様なくらいに人の目を気にする傾向がありました。ところが現在の首都圏に来たら、学校の行事にしても、付き添いの母親の服装は「なんでもあり」でした。
ものすごくラフな人がいれば、着物でがっちり古風に固めている人もいる。真っ白いスーツの人がいればブラックから柄物まで何でもあり。行事だけではありません。普段もそれは同じです。
とにかく人の服装は何でもありなので、どんな服装をしていても全く驚きませんし興味もありません。それなのになぜ、これほどに服装のことにエネルギーを注ぐのか。
それが楽しいなら良いのですが、どうも皆さん、大体が苦悩しているように見えます。いえいえ、偉そうなことを言っていますが、私もかつては服装のことで苦悩していました。
今にして思えば服装なんて、せいぜい大きな枠を超えなければ、あとはその範囲で自由に決めればいいんです。例えばスーツという枠があるならば、スカートをはくか、パンツをはくか。またはブラック、ネイビー、グレー、どの色を着るかといった細かいことを選ぶだけ。これは好みの問題なので、悩む必要はありません。
もちろん、正式な服装をする場ではそれなりの服装をする必要がありますが(礼服など)女性はスカートが正式でパンツスーツは正式な場ではだめとかいうのはおかしなはなしです。
男性が着て問題のない服を女性が着るとNGというのは意味不明です。スカートは足を出すし体を冷やします。だから男性が平等にスカートをはかせろというのは、ちょっと違うと思いますが、女性が体を冷やし露出の大きいスカートをはかなくてはならないというのは論理が破綻しています。
ヒール付きパンプスも同じです。履けば足が痛くなる靴を女性だけが履き、ローヒールをはいてはいけないという理屈も謎理論です。
私は現在、こうした縛りからは外れたライフスタイルが可能です。ですから、まずは自分がよいと思う服をある程度の枠を超えない範囲で着ることにします。
ただし私は、服のコーデにエネルギーを使いたくありません。ですので機能と最低限の礼儀を備えつつ自分が快適でいられる服を数少なく持つのが目標です。