簡単に暮らせ

ちゃくまのブログ。50代女性ミニマリスト。合理的な家事、少ない服で暮らす、家計管理、お金、捨て作業のコツ。好きなことをして生きる暮らしの追及

「何を着るか」の悩みが他人目線の場合、違いは誤差レベルでしかない



こんにちは ちゃくまです。

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洋服の悩みと楽しみは裏表です。楽しくてわくわくする反面、迷いに迷ってそのスパイラルから抜け出せなくなることもあります。そこで必要だと思うのは、自意識みたいなものを一歩だけ引いてみることです。

実のところ、たいていの人は他人に良くも悪くも興味がありません。だから他人が何を着ていたかなんて大して覚えていません。もっとも、しょっちゅう同じ顔触れで定期的に顔を合わせている場合、これは違う側面もあります。

人は全く違う人にはこれまた良くも悪くも比較をしません。だけど自分と近いところにいる人のことは比較してしまうようです。例えば、皇后陛下が何を着ているかを自分と比較する人は滅多にいないことでしょう。テレビで見かけた人気女優、タレントが何を着ていたかについても同じです。

ところが「ママ友のAちゃんママが、どこのブランドの何を着ていたか?」とか、「お向かいのBさんの同年代の奥さんが、町内会の集まりで来ていた服」のこととか、「同僚のCさんは、最近〇というブランドの服を着ている」・・というようなことは、割と覚えているものです。

つまり私たちが「何を着るか」で、他人目線を意識したときにおこる自意識というのは、あくまで同じような人たちの範囲に過ぎないということなんですよね。ということは、全く無関係な人から見れば、服装の違いは誤差レベルの違いでしかないということでしょう。

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例えば、日本人同士であれば「あの人は目が大きくて美人」だとか「あの人は鼻がすっと通っていて、顔立ちが整っている」というように、わずかな違いにも敏感です。だけど外国人の場合は、この感覚が鈍くなり、さらには「みんな同じ顔」に見えてしまいます。

白人系外国人と、アジア系外国人の違いはともかく、例えば黒人の方なんて全く見分けがつきません。他の方はどうかわかりませんが、私はそうです。

つまり全く違うジャンルの人たちは、せいぜい肌の色くらいしか見分ける違いの基準がありません。私たちの意識はかなりアバウトになります。ところが同じ生活圏の方となると、小さな違いにも敏感です。本来は全く違う人との違いに敏感になりそうなものですが、不思議にそうではありません。

外国人とか、皇室の方とかとはあまりに違うと思うせいか、違いを認識するに至りません。ところがご近所さんとか、子供の母親同士とか、同僚というような「似た者同士」の場合に限って違いを意識してしまうのです。

結局のところ、他人目線を意識した場合の洋服の悩みがあるとすれば、それはしょせん、誤差でしかないということなんですね。こうしたことに気づくと、洋服の悩みも半分はなくなる気がしています。