簡単に暮らせ

ちゃくまのブログ。女性ミニマリスト。合理的な家事、少ない服で暮らす、家計管理、お金、捨て作業のコツ。好きな事をして生きる暮らしの追及

体験談・「掃除をするといいことがあるのか?」嫌いな風呂掃除を毎日実践してみた驚きの結果とは



こんにちは ちゃくまです。このブログは暮らしに関することをつづっています。

・ミニマリスト的な暮らし方 ・家事を簡単にする工夫 ・お金に関する管理方法(筆者はFPです) ・世間に惑わされない生き方 ・・など。お役に立てたらうれしいです。

はじめに

今回は、

「掃除をマメにすると、本当にいいことがあるのか?」

について体験を含めた話をします。

嫌いな風呂掃除を半年毎日やってみた

掃除し甲斐がない仕様の浴室

私は風呂掃除が嫌いです。理由は我が家の浴室が掃除し甲斐のないことにあります。もっとも、築年数は古いのですが、全体的に新しくリフォームされた状態で入居しました。

ところが浴室はいまひとつ。入居直前に見学に来たのですが、そのときはリフォーム中で、特に浴室だけがまだ、工事中でした。

で、いざ、入居したら浴室にはがく然としました。もちろん、タイルは張り替えられているし、浴槽など設備は新しいものが入っていました。

が、第一に排水溝が、古い管のまんまなんですね。しかもしょせん、タイル張りなので、掃除をいくらやっても汚れが付着してイタチごっこ。だからやりがいがなく、やる気が出ない。

今までいろんな賃貸に住みましたが、今の浴室は最悪です。

週1の掃除を毎日すれば、きれいになるのか

それで昨年、一大決心をしてある試みをしました。それはこれまで週一だった風呂掃除を(ときにサボって10日~2週に1回とか)

「毎日やる」

こと。

風呂のふただけは週一でしたが、それ以外は毎日です。

それこそ

  • タイル、タイルの目地、
  • 排水溝
  • 浴槽
  • 椅子
  • 洗面器
  • ドア

毎日磨きました。

これだけ毎日やると、もともとつるんとしたユニットバスではなくてタイル目地がある浴室なので、目地まで磨くと本当にエンドレスです。さすがに目地はほどほどでやめましたが、さすがに毎日磨けばきれいになるのではないかと思って期待しました。

半年毎日掃除をしても効果がない点が多数

その結果は・・

洗面器やふろ椅子はきれいをキープできました。

これはやったかいがありました。

浴槽はもともと毎日こすっていたので、こちらは同じで変化なし。

 

一方で大して見た目の変化がそれ以外はありませんでした。タイル目地は半年掃除しても、カビ取り剤を毎日使うわけではないので(洗剤は安全のために食器洗い用の除菌タイプ)相変わらず汚れが取れないままでした。

もちろん毎日掃除しているので潜在的にはきれいなのでしょうが、見た目に毎日しているようには見えませんでした。

それでも続けていたある日、突然沸いた不思議な感覚

それでも、とりあえず続けて掃除をしていました。このころになると風呂掃除も顔を洗うのと同レベルになってきます。

そんなある日のことです。あれは風呂掃除をはじめて半年目くらいだったでしょうか。浴室を磨いている時、突然、こんな思いが

 

ピカーン!

 

と沸いたんです。

それは、

 

「ありがたい。」

 

という思い。

単純に嫌だと思っていたけれど、掃除をできるっていうことは生きているからであり、体の自由がきくからであり、体を動かせるからであり、自立して一人で浴室にいられるからであり、

 

これ以上にありがたいことなんて、何があるんだろうか?

 

・・と、本当に素直にそんな思いが突然、降ってきたのです。

掃除は自分の後始末

私は4年半前、もしかしたらそこで命が絶たれていたかもしれません。そんな体験をしました。

ところが今はこうやって一人で浴室を掃除して立っている。これは奇跡で、ありがたいことです。

そもそも「嫌だ」と思っていた風呂掃除だけど、その風呂がどうして汚れるかというと、自分が体を洗って使うから汚れるんですね。

自分が原因で汚しているんだから、その後始末をするのは当然なのです。もちろん実際は家族も使っているけれど、そこを必要以上に突っ込まないで、まずは気にしている自分がやればいい。

もちろん今は、最後にお風呂を出た人がある後始末を、家族にも協力お願いしています。

掃除をして得られる「いいこと」とは?

ちまたで時々見かける話は

「掃除や片づけをすると運が良くなる」

とか

「いいことがある」

などの話です。

この手の話を聞いたり読んだりしたときに、「?マーク」が浮かぶのはある疑問が沸くからです。

それは、

「そもそも、『いいこと』って、本人が認識できているとは限らないよね」

ということです。

例えば、ある出来事が起きた時、それが本人にすれば「いいこと」でも、長期的に見ればそうでないことがある。

また、個人で見れば「いいこと」でも、社会全体でみれば、そうとは言い切れないことがある。

だから個人が認識する狭い感覚で、「いいこと」を認識するのはそもそも不可能なのではないか。

ということは、

「掃除をしたら『いいこと』がある」

というのは、どうもマユツバものと考えられるのです。というか、あまりにショートカットの度が過ぎているのではないかと思いますね。

例えば

「魚を食べると頭がよくなる」

「掃除をするといいことがある」

は同レベルで語られている話ということ。

魚を食べている人で頭がいい人はいるかもしれない。でも魚を食べて頭が良くなったという結果の間にはもっと多くの経過がある。

魚だけではなく、それ以外の食習慣や、学習、その他、頭を使うこと、体を使うこと、情報収集、人間関係・・と結果に至る経過はもっと緻密で多様な過程があるわけです。

「掃除をするといいことがある」

も同様で、掃除をしていいことがあった場合、その経過には多様な過程がある。

「いいこと」を認識できていない場合

他には、実はすでに「いいこと」は起きているのに、本人がそれを認識していない場合もあるでしょう。

例えば、実は危ういところで事故を免れていたのに、本人が全く気が付いていないケースです。

 

この場合は、とてつもない幸運に恵まれていても、

「何にもいいことないな~」

とぼやくことになります。

交通事故の件数を見ても、何事もなく一日を過ごしていることがどんなにありがたいかがわかります。

ところがそれを、当たり前だとやり過ごせば、そういう感覚だけが残ることになります。

浴室掃除を毎日やって得たこと

では、嫌な風呂掃除を毎日やって得られたことはなかったのでしょうか。結論を言うと、そうではありません。明らかに収穫がありました。

それは

「感謝」

の気持ちに気づいたことです。

しかし、それに気づくまで半年もかかりました。

とはいえ、ただひたすら一人で黙々と掃除をしただけで、なぜか自然と

 

ありがたい

 

という感謝の気持ちが、とこからか突然降ってきたのです。

これ以上の「いいこと」ってなにかあるのでしょうか。

普通の感覚の「いいこと」との違い

もっとも、普通に考える「いいこと」とは、

 

宝くじが一億円当たる・・とか、

年収が一億円になった・・とか、

試験に合格した・・とか、

おいしいもの食べた・・

 

・・などでしょう。だから前に話した話は

「な~んだ。結局『感謝?』」

と、がっかりしましたか?

 

でも、一般的で話の「いいこと」って、一時的なものです。時間がたつと消えてしまいます。例えば宝くじで一億円当たって最初はうれしいでしょうが、時間とともにその喜びは消えていきます。

そしてついには、以前と変わらない日々が続くでしょう。

 

それは年収が増えることも、

試験の合格も、

おいしいものを食べることも

同じです。

 

もちろん、お金が増えることをきっかけに新しい行動が新たな「いいこと」をうむことはあるし、試験の合格をきっかけに、新しいことが広がったり、おいしい食べ物が健康をもたらす・・ということはありますよ。

でも、「ありがたい」という気づきの偉大さには比較できるものではありません。こっちの「いいこと」の気づきは一度気づいたらきえることはありません。

 

まあ、けっこう忘れるけどね。

 

結論・掃除をするといいことがあるのか?

結局、掃除をするといいことがあるのでしょうか。

この問いをする場合は、ある思いが前提としてあることになります。それは、

  • 掃除をして「いいこと」があるならやってみたい。
  • 掃除をしても「いいこと」がないなら、やらない。(最低限の掃除でいい)

という2択の思惑が根底にあるということ。

つまりは言い換えれば、見返りがあるならやるけれど、見返りがないならやらないということです。

もちろん、その人のライフスタイルによっては、お金を払って掃除を業者に任せたからと言って、それが非難されることでないのは明白です。

むしろ仕事を生み出しているんですから、良いことでもあります。

 

あくまで私の感覚ですが、掃除をして得られる「いいこと」とは、

「気づきを得られる」

ことにあると思っています。

 

具体的には

「掃除をできる」→「私は健康だということ」→「ありがたい」

という気づきです。

 

たとえば健康は、何もないときはそのありがたみに気づけません。ところが例えば、ちょっと指先をけがをして初めて「どこもケガしていない自由」と「ありがたみ」を実感します。

満たされているときは気づかないのですが、皮肉にも満たされない状態になって初めてそのありがたみに気づけます。

同じように、知らずすでに獲得している幸福を見過ごし、それ以上をさらに望んでしまうことのなんと多いことか。

ところが、掃除という作業は、特に何かを失ったわけでもないのに、なぜかそのありがたい状態に気付けるきっかけをもたらしてくれるようです。

それは掃除という作業が、普段は見過ごしている小さな汚れやひずみを見つめるさぎょうだからでしょう。

さいごに

今回は、

「掃除をするといいことがあるのか?」

について、ルーチン化してみた苦手な風呂掃除を通して得た体験を交えた話をしました。

確かに掃除はめんどうですが、やれば体を動かすから血流が良くなるし、運動不足の解消になります。

もしかすると、自然と降ってきた「感謝」というポジティブな発想も、掃除で血流がよくなり、掃除という達成感という相乗効果により、頭の回転が良くなったので湧いてきたことも考えられます。

いずれにしても、掃除は「いいこと」がありました。

参考になればさいわいです。