はじめに
最近、絶賛「苦行」を楽しんでいます。今回は「苦行」の楽しみ方を紹介します。
「がんばらない」が流行しているけれど
でも最近は「がんばらない」が絶賛流行中です。
確かに、例えばブラック企業で無駄ながんばりをすることはすぐにやめるべきでしょう。
家事を完璧にしようとして、毎日ダシからとった味噌汁を作ったり、全部手作りで冷凍食品を絶対使わない弁当・・なんでものも力を抜いたほうがいいかもしれません。
一方で、例えば登山なんてレジャーは、極端な話、少し苦しいくらいが楽しいのです。キャンプもそう。少しの不便を楽しんで、汗でべたべたする不快感も楽しいわけです。
読書にしても、面白くない本を無理に最後まで読む必要はありません。
「楽なことばっかり」は楽しくない
でも、一方で「楽なことばっかり」というのは全然楽しくないんですよね。
普段、登山をしている人が、ケーブルカーで頂上に行ったら物足りなくて楽しめないでしょう。
普段、キャンプをし慣れている人が、シャワーその他が完備されている設備があると楽しみは半減するでしょう。
読書をし慣れている人が、自分で読まずに要約サイトの動画を見たら「なんか違う」と感じるでしょう。
似た状況でも、登山をしたことがない人が、まずはケーブルカーで登るなら新鮮で楽しめます。
キャンプをしたことがない人が、まずは管理設備が整っているところでお試しするなら安心できます。
読書をしたことがない人が、ようやくサイトの動画で本に興味を持つことは楽しみが広がります。
要は楽しみというのは、普段の行動にもう少し負荷があることで、刺激が得られて「楽しい」という結果につながるということです。
楽しいことは、「うははわはは」と爆笑し続けるようなことではなくて、その直前は少しの苦しみを疑似体験することで得られるわけです。
そもそもの「笑い」もその直前は小さな緊張があり、緊張がほくれた瞬間に笑いが出るわけです。
つまり楽しみの結論に思われる笑いも、ほどほどの負荷があってこその結果なんですよね。
「苦行に行ってくるね!」
私は現在の趣味である、少しテーマを持たせた歩きに出るときは、夫に
「じゃ、苦行に行ってくるね!」
と笑顔で言って出かけます。すると夫も
「ああ、苦行ね。」
と笑いながら見送ってくれます。実際、その日の歩きがどの程度「苦行」になるかはわかりませんが、いずれにしても基本的に名所でもないところに行き、ひたすら歩くのですから客観的には苦行以外の何物でもありません。
ところが不思議なもので、
「苦行に来ている」
と思うと、そもそもが苦行なんだから楽しければラッキー、苦しくて当たり前。ちょっと楽だったらまあ、いいだろう。と現実を受け止められるのです。
そして帰宅すると実際たいていは
「あ~、今日も苦行だった~」
と実感するとともに、ほっとします。そして家は楽でいいなあと、あらためて思います。
「ツライ」・・なんで自分ばっかり感・・が不しあわせ感の始まり
「これは苦行なんだ~♪いやあ、苦行ってキツイよね~♪」
と、苦笑しながら歩いた方が、断然楽しい。
一方で
「なんでこんなことをしないといけないんだ・・⤵」
みたいな感じは全然楽しくない。
苦行的行動は、向こうから来るのを恐れるのではなくて、自分からあえて突入してやるイメージです。
そうすることで、ツライものではなくて、エンターテイメントに180度変わるのです。
「苦行」を実践する理由
ちなみに余談ですが、私が苦行、つまり少し負荷のあるウォーキングをすることには前提があります。
それは数年前の病で身体的に支障があるからです。見た目にほとんど気づかれませんが、この症状はもう、一生付き合っていくしかありません。
日々、こまめに運動をして体を動かしていないと、あっという間に固まってきます。それ以外にも痛みやしびれ、ほかにも言語化できない様々な苦痛はあります。
けれどもそれを、いちいち嘆いたり、不信がったところでなんのメリットがあるのでしょうか。
それ自体は決して愉快なものではありませんが、あきらめてうまく付き合っていくしかないのです。
だから日々の体のメンテナンスともいえるメインの苦行ならぬウォーキングは、淡々とマグロが泳ぐのをやめられないように、止まらずに歩き体を動かし続けるしかないのです。
「苦行」は努力やがんばりと違い楽しめる
このことを
「自分は不運で不幸だ」
とでも言うように、不幸自慢みたいな感情をまき散らしたところで何の意味もありません。
このように体のことを考えて日々それなりの「がんばり」をすることを努力とか、がんばりのような安易な解釈に持ち込みたくはありません。
むしろ、きっぱりと「苦行」と認めて向き合ったほうが断然楽しいのです。頑張りや努力は少しも楽しめませんが、「苦行」は断然楽しめるのです。
がんばらないこと、つまりは負荷が少ないことは、結局現状維持がベースになります。結果として変化も何もなく、物足りなさを感じるようになるでしょう。
さいごに
今回は「がんばりと努力は少しも楽しめないが、『苦行』は断然楽しめる」という話をしました。
最近は、「がんばらないこと」が絶賛流行中です。確かにある傾向によっては必要のない努力や頑張りは存在します。
一方で自分の意志で少しの負荷を加えた方が、ものごとは楽しめます。がんばらないこと、つまりは負荷が少ないことは、結局現状維持がベースになります。結果として変化も何もなく、物足りなさを感じるようになるでしょう。
必要ながんばりや努力よりも「苦行」と解釈したほうが素直に現実を受け止め、楽しみの域に達することができます。
参考になればさいわいです。