はじめに
最近、私にとって難易度が高い本の読書に着手しました。案の定、難しいです。気が付けばヨダレを垂らして眠っていることもよくあります。
そんな調子ですが、毎日少しずつでも読み進めるつもりです。そうした中で感じることがあります。
それは、「読書はスポーツ」だということです。
なぜ読書がスポーツなのか
なぜ私は「読書はスポーツ」と言うのでしょうか。理由は簡単です。読書もスポーツと同じで、日々の習慣とトレーニングの積み重ねで読める体力が付いていくと思うからです。
例えば歩く習慣のない人が、いきなり「ひと駅歩こう」と言われてもきっと、体力が続きません。
ところが、歩く習慣をつければ、おそらく2週間もすればひと駅を苦にせずに歩けるようになるはずです。(ここで言う「ひと駅」の目安は1~1.5㎞です)
そしてはじめは「ひと駅」だったのがふた駅、それ以上というように段々歩ける距離が伸びていきます。
同時に歩ける距離が延びれば、行動範囲が広がります。同時に心に余裕とゆとりができるので、周囲の小さな変化にも気が付くようになります。
私はジョギングの習慣はありませんが、おそらく走ることも大体似たようなものではないでしょうか。
それ以外のスポーツや筋トレも多かれ少なかれ基本は似ているはずです。
読書も習慣と読める体力づくりが必要
私の読書量はたかが知れています。一方で、時折本を比較的読める時期と読めない時期があります。
読めない時期は、少し一呼吸おいて体力温存にはげみます。そうすると徐々に再び読書熱が下りてきます。
そうしたときには、しばらく休んで低下した読書の基礎体力作りに取り掛かります。今がちょうど、そんな時期にあたります。
読書の体力作りはどうやっているかというと、私の場合は古典系の普遍的な本を読みます。
「いつか読んでおきたい」
と思った本をアマゾンあたりからまとめて買います。あえて一冊ずつ買うようなことをしないで、複数の巻があるならばそれを一気に買って追い込みます。
「買ったからにはもう、逃げられないぞ。」
という状況を強制的に、自分に作り上げてしまうのです。本を一冊ずつ買えば、仮に途中で読み切れずに挫折しても、費用を無駄にしないで済みます。
一方で、「次の巻がないから、また今度」というように、読書に乗っても流れが中断するおそれがあります。
ところが初めから全ての巻をまとめて買っておけば、あとは自分の読書体力だけです。
「読もうと思ったときに、手を伸ばせばすぐ手元にある」
状態がかなり重要です。そういう理由から、最近は本を図書館から借りることはなくなりました。
(もちろん、図書館の良さはあります。)
難しくて理解できないけれど、それでもとにかく読む
最近、購入した本は想定以上に難しい本でした。事前にアマゾンで試し読みのページを確認していたので、難しさは想定していました。
ところが思った以上に難しくて、下手すれば
「この本は、一生かけて繰り返し読んでも理解できない可能性もある」
とさえ思いました。一般に読んで理解できない本には、理由の種類があります。
- 簡単な内容なのに、わかりにくく書かれている
- 自分のレベルが低いので理解できない
今回の場合はあきらかに「2」であることは明白です。だからこそ、繰り返し読んでいくことが今の私には必要なことだと確信しています。
今は途中で眠ってしまうほどに、まったく読書の体力が付いていません。けれども難解な本でも、読んでいると時に私でもおよそ理解できる内容はあるのです。
そうした個所をかみしめながら、ほかの箇所も内面に落とし込んでいきたいと思っています。
さいごに
読書もスポーツと同じで、日々読む習慣があればある程度読める体力が付きます。ところが読書を休んでいたり、読書体力自体が低下した直後の場合は、再び体力を付けるトレーニングが必要です。
現在はその最中ですが、最近取り入れた本は私にとって難解で難易度が高い本です。それでもそれらの文字を目にすることをやめたいとは思えません。
一生かかっても読みこなせない可能性もありますがとにかく繰り返し読むつもりで行きたいと思っています。