簡単に暮らせ

ちゃくまのブログ。女性ミニマリスト。FP。合理的な家事、家計管理、少ない服で暮らす、お金、節約、捨て作業のコツ。好きな事をして生きる。

習慣化を欲張ってはいけない。ストイックすぎる生活は、どこかでムリが出る。それは「休め」という体の防御機能だから受け止めよう。



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こんにちは ちゃくまです。このブログは暮らしに関することをつづっています。

・ミニマリスト的な暮らし方 ・家事を簡単にする工夫 ・お金に関する管理方法(筆者はファイナンシャルプランナーです) ・世間に惑わされない生き方 ・・など。お役に立てたらうれしいです。

はじめに

今回は、

「ストイックな習慣は一度立ち止まって、ゆるくする勇気を持とう。」

という話をします。

「習慣」が長らくブームの背景

「習慣」の話はここ数年、長らく注目を浴びています。

「一見、大変そうな理想も、習慣の力を借りれば無理なく達成できる」

・・というものです。

確かに継続が、難しい行動も、習慣化の力を借りれば、洗顔や歯磨きみたいに実行できるようになります。

筆者も実際に習慣の力を借りてできるようになったことや、実行を継続できるようになったことは複数あります。

例えばウォーキング、簡単な筋トレなどはその代表です。

習慣化したからこそ、毎日運動することができています。

一時短距離しか歩けなくなりましたが、習慣の力を借りある程度の距離を歩けるようになりました。

このブログ執筆も同じです。

ほかには毎日の自宅内掃除などがあります。

これらは習慣なくして決してできなかったでしょう。

習慣化の欲が出る

ところがこれらの習慣ですが、ある程度できるようになり定着するとある種の欲が出ます。

それは、自分のキャパを超えた負荷をかけてしまうことです。

筆者はウォーキングを習慣にしています。

ところが持病があるし、体調も波があります。

けれども現在、50くらいの負荷で歩いているとして、100の結果を望んでしまうのです。

「のど元過ぎれば熱さ忘れる」

そのきっかけはたいていの場合、ネット上の様々な情報です。

非常にストイックな方が毎日、長距離をジョギングしたり歩いて旅をする様子を見ることがあります。

冷静に考えて筆者は到底無理なのですが、すこしでも

「あやかろう」

と考えてしまいます。

現在の歩行距離を増やしてしまうのです。

実際、過去2~3年の間に、歩行距離と体力を強化することができました。

ですがその間、何度かケガをしたり体調不良に見舞われました。

それで懲りれば良いのですが、元来実は自分に対して負けず嫌いの気質があります。

結果としてケガが治る過程でまた、負荷をかけ始めます。

でもさすがにケガ直後は

「今度はほどほどにしよう」

と思います。

でも

「のど元過ぎれば熱さ忘れる」

のです。

なぜストイックな行動をとってしまうのか

継続した行動をとれない人がいる一方でなぜ、ストイックな行動を継続できる人がいるのでしょうか。

筆者のストイックなどは、世にいる強者たちと比べたら、粟粒みたいなものです。

ですが、筆者の心理を言語化してみましょう。

ストイックな行動を継続する理由の根底にあるのは、筆者の場合は「恐怖」です。

もちろん、恐怖が100%の理由ではありません。

やりがいだったり、達成感の心地よさだったり、単純に楽しいということもあります。

スタートまではおっくうでも、始めてしまうと楽しくなります。

筆者の場合は7年前の病のために、筋力が低下しやすいのです。

筋力が低下すると歩けなくなります。

過去に実際、ケガで運動できない期間がありました。

結果、筋力が低下して5メートル先に歩くのもやっとになったことがあります。

その恐怖は、体験した人にしかわかりません。

でも客観的にはそう見えないのです。

今にも転倒するのではないかという恐怖。

あの恐怖は二度と味わいたくありません。

結果、歩けなくならないように日々、運動するのです。

もちろん先ほども言ったようにそれだけが理由ではありません。

やったりやらなかったりというのは疲れます。

けれども「毎日実行する」と決めるほうが楽ということもあります。

ストイックが過ぎると、たいていケガなどをする

ところがこうしたストイックな行動も、筆者の場合調子が出てきたころにたいていケガなどをします。

そうしたときは、できるだけこう言い聞かせます。

「この程度で済んで良かった。私はついている。」

とはいえ、本心は落胆もしています。

ただ、夫はそういう雰囲気を受け止めません。

筆者はそれで、良くも悪くも落胆している気持ちを出さないようにしています。

これは一見、シビアなようですがそうでもありません。

グチを吐くにはけない環境は、意外と良い強制力があります。

実際、はじめは前向きなフリをしていますが、次第にそれが本音になっていきます。

ケガは私を守る防御反応

ただ、先日はふとこんな思いが頭の上から降ってきました。

「そうか。これは、『休め。』ということなんだ。」

ケガをすることで、必然的に筆者は運動を大幅に休まなければなりませんでした。

それは再び筋力低下のおそれがあるし、また100歩下がることです。

ただ、ケガのおかげか、大幅に体を休めることになりました。

いろいろ考えていた運動計画ですが、それがストップしたものの、ケガで守られたのかもしれません。

とはいえ、そのケガも、一歩間違えば大惨事でした。

何が正解かはわかりませんが、一度起きてしまったことは戻りません。

ただ確実に言えるのは、私は生きていて、こうして頭の中もしっかり正常に働いているということです。

  • 手指も動かせてPCも使える。
  • ご飯も食べられている。

これほどにラッキーなことはないでしょう。

習慣化を欲張ってはいけない

筆者は過去に何度か似たこと(ケガなど)を繰り返しています。

習慣にしているウォーキングの負荷を上げてしまい、そのたびに不調に見舞われています。

そのたびに

「ほどほどにしよう。」

と思うのですが、気づけば、負荷を上げています。

継続できないのではなく、防御反応かもしれません

継続できない人が、自分を責めたり他者を責めたりする風潮があります。

でもそれはケースバイケースなのです。

継続できないのではなくて、もしかするとそれは、防御反応かもしれないということです。

例えばたまたま寝坊して運動し損ねたり、天気が悪くて外に出たくないとき。そうしたときに習慣を一時停止することは、決して悪いことではありません。

良いとされる食べ物でも、毎日食べると体に良くないことがあります。

習慣もそれと同じです。

絶対に休まないことで自分の満足も高まりますが、過度になると弊害がでるということです。

  • 飽きる
  • やめる
  • 休む

は怠惰ではなく、生身の体を守る防御反応なのです。

過度なストイックさは、欲をかくことでもある

ストイックな行動は一見、当人の優秀さであるかに思うものです。

けれども実態は必ずしもそうではありません。

適度な範囲を超えた行動は、欲をかいていることも多々あるのです。

努力や頑張りというものは、長らく称賛される風潮がありました。

けれどもこれからの時代は、そうではありません。

以下に手を抜いて目的を達するか。

いかにラクをするかが重要な過程にであると、時代も変化をしていくはずです。

まとめ

さいごに

今回は「習慣化を欲張ってはいけない。ストイックすぎる生活は、どこかでムリが出る。それは「休め」という体の防御機能だから受け止めよう。」という話をしました。

最近は「がんばらない」趣旨の話は増えています。

一方で、「習慣」というある種のストイックな行動が

「合理的である」

と注目を浴びています。

確かに、習慣の力はある程度までは合理的です。

けれども習慣も過度になると、途端に欲の一種に様変わりします。

結果としてケガや病気などの、マイナス面に転じない保証はありません。

今は大丈夫でも、後から症状が出ることもあります。

生身の体は物であるからには、使いすぎれば傷んで故障します。

自分の体は自分で守らなくてはいけません。

最後まで読んでくれてありがとう。