はじめに
不安はたいてい現実にはならず、不安損になるだけですが、「不安になると逆にそれを呼び寄せて現実になりやすい」ということもあります。
不安って、しばしば顔を出しますよね。
でも、これまでそれが現実になった頻度はどのくらいありますか?
それに、
「不安ごとは逆に、それを呼び寄せてさえしまう」
という本末転倒なこともあります。
備蓄のし過ぎについて
例えば、備蓄のし過ぎがその例です。
ある程度の備蓄は必要ですが、それ以上となると個人で賄うのは不可能です。
仮に、個人で用意したとしても、周りの人とのバランスを考慮すると自分や家族だけで消費するわけにはいきません。
例えば、災害や社会情勢の先行きを考えて、極端な備蓄をしたとします。
この場合、備蓄をしたことで逆に、備蓄が必要になることを水面下で望んでしまう心理が発生します。
かなり力を入れて備蓄をしたら、それが必要になることを期待してしまうわけです。
自分が認識できない不安は予見さえできない
また、不安は自分が「イメージできることに限られる」という前提があります。
起こりえるマイナスの将来は、自分が知っている範囲でしか不安にすらなれないということです。
例えば10年前に、KOロナの事態を想像した人は少なかったはずです。
もちろん、水面下では別の流行り病が不安視されていましたが、一定の時期を過ぎたらだれも気にしなくなっていました。
つまり、多くの不安は単に報道や口コミ、ネット情報の範囲で不安になっているに過ぎないのです。
そもそも、その不安のイメージはどこから来るのでしょう。
それはテレビであったりネットであったり、口コミであったり、身近な人の体験を目の当たりにするなどです。
ところが、情報のない不安は知ることさえありません。
つまり自分の不安でさえも、実は狭い限られた情報から得たものにすぎません。
「起こりえる不安要素を知らされて良かった」と思うべきか
最近、毎朝テレビでは
「今日もうだる暑さです。」
「湿度も高く、不快な一日です。」
「熱中症にご注意ください。」
などの注意がうながされます。
確かに、お年寄りや子供に対しては、そのような注意を繰り返す必要があるでしょう。
けれどもすでに夏は危険で暑いことはわかりきっています。
それなのに、毎朝
暑くて疲れる嫌な一日が始まる
というイメージを、インプットされ洗脳されます。
もういい加減に、暑いことはわかりきっていますよね。
確かに気を付けないといけないけど、
「今日は良い一日がはじまる!」
と言い聞かせたほうがいいですよね。
朝一番に聞く言葉や映像は影響が大きいのです。
この場合、テレビから起こりえるいやな一日を知らされて良かったと思うべきなのでしょうか。
お年寄りや子供ならいざ知らず、現状を分かっている通常の大人の場合は、過剰なマイナス情報はいらないのです。
理由は朝一番にマイナスイメージを受け取ってしまい、実際に一日がマイナスになるからです。
「対岸の火事情報」に過度な影響を受けない
確かに、世の中には大変な目にあっている人がいます。
それは何とかしなければならない問題です。
ですが、普通の人は個人でそれを何とかすることはできません。
そしてそれを真剣に受け止めてしまうと、心がソフトな人はダメージをうけます。
たとえば過剰にマイナス情報をニュースで受け取ることで、自分は当事者ではないのに当事者のような気持になり壊れます。
多くの人は、マイナス情報を受けても、本音では対岸の火事と思い傍観できます。
ところがソフトな人はダメージを受けます。
ニュースに限らず、知人や親兄弟の話も影響があります。
テレビやネット、新聞も同じです。
不安のきっかけになる情報を受け取らない
不安のきっかけになるような情報を受け取らないことです。
例えば、朝の番組で発せられる何げない
「熱中症に注意」
「うだる暑さです」
のようなわかりきっている情報も、あらためて受け止めないようにします。
ほかには
株価が下落している
とか、
海外での情勢
国内の政治家のマイナス情報
値上げしているもの
・・などです。
天災は必要最低限の備蓄を済ませるまでが限界
最近ありがちなのは、天災情報です。
日本は災害が多いので、天災が来ると言い続ければいつか規模は様々でも何かしらあります。
ただ、それを読むことは不可能なので、不安になったらそのほうがマイナスです。
最低限の備蓄(1週間程度)をしたら、あとは過剰に不安にならないことです。
そもそも、実際に個人でできることはそのくらいが限界です。
実際に何か起きた時に考えること
それでも実際に何か起きたときは、どうすればいいのでしょうか。
それはその時にできる、精いっぱいのことをするだけです。
それ以上でも、それ以下でもありません。
同時に、不安の責任を他人に求めないことです。
例えば
「『あの時不安になるな』って書いていたよね。あれはどうしてくれるの!」
みたいなことです。
ほかには、たまたま文章でカバーできない範囲のことを挙げて
「雨が好きっていうけれど、雨の中大変な仕事をする人がいる!」
みたいな追及も同じです。
不安になるもならないも、自分の勝手です。
例えば、他人に相談をプライベートで持ち掛けて、そのアドバイスが納得いかないとあとから逆恨みするようなケースです。
このようなことは、やめたほうがいい。
どんな人も、あなた自身ではないし、あらゆるパターンを説明しつくすことも、先を見通すことはできません。
不安はたいてい現実にはならず、不安損になるだけですが、「不安になると逆にそれを呼び寄せて現実になりやすい」ということもあります。
まとめ
- はじめに
- 備蓄のし過ぎについて
- 自分が認識できない不安は予見さえできない
- 「起こりえる不安要素を知らされて良かった」と思うべきか
- 「対岸の火事情報」に過度な影響を受けない
- 不安のきっかけになる情報を受け取らない
- 天災は必要最低限の備蓄を済ませるまでが限界
- 実際に何か起きた時に考えること
- まとめ
- さいごに
さいごに
不安はたいてい現実にはならず、不安損になるだけですが、「不安になると逆にそれを呼び寄せて現実になりやすい」という話をしました。
過剰に不安にならず、現実を見つめ、今できることをすることが大事です。
夏になると、ネガティブ情報が増えますので注意しましょう。
参考になればさいわいです。