はじめに
今回は、多くの日本人が、無意識にでも感じている
「お金は汚い」というネガティヴイメージを捨てる・・という話をします。
という話をします。
「お金は汚い」という価値観について
最近、お金がかかることを控えている人が増えています。けれども現代はお金と決して無縁ではいられません。けれども多くの人が抱くジレンマがあります。
それは、「お金が欲しい」という思いと、「お金は汚い!」という相反する感情です。結局のところ、お金と近づくべきか、それとも距離を置くべきなのか。
お金に近づきすぎると強欲で振り回される気がする。一方でお金と距離を置くのは現実的ではない。このようなジレンマに、どう向き合えばよいのでしょうか。
そこで見直したいのは、「日本人特有」と言われる「お金に対するネガティブなイメージ」の見直しです。
お金に対するネガティブなイメージの根源
同じ状況でも、そこにお金が絡む話になると、途端にネガティブなイメージを持つ人(日本人)は多いようです。
例えばこんなイメージを抱いていませんか?
お金持ち・・性格がキツイ
お金持ちではない人・・性格がやさしい
このイメージはいったいどこから来るのかと、考えてみたのです。そこで思い当たったのは子供のころ、よく見たテレビアニメ番組や絵本の「日本の昔話」の存在です。
日本の昔話にはたいてい、貧乏な心優しい正直者のおじいさんとおばあさんが登場します。
そして性格が悪く強欲なおじいさんも登場します。
最終的に、お金持ちで強欲なおじいさんがしっぺ返しを食らい、ひどい目にあいます。貧乏で正直なおじいさんは神様からご褒美をもらい、お金持ちになるというお話です。
つまりはお金持ちはたいてい性格が悪く強欲ですが、貧乏人は性格が良くて欲を張らないがために神様からご褒美をもらい、お金持ちになれるという話です。
確かに江戸時代~昭和初期など昔は、地主と小作人がいて、お金持ちの地主と貧乏な小作人との間には理不尽なことが多くあったかもしれません。
昭和21年(1,946年)、アメリカ占領軍の指令により、政府は農地改革案をまとめ、以後実質小作人制度が廃止になるまでこの形態があったわけです。
けれどもそのこと自体とお金、つまり富は無関係です。お金や富そのものに罪があるのではなく、問題があるのはその人たちの関係性と富の分配システムなどによる社会のシステムにあります。
それでも多くの富を得ている人に対する羨望とは裏腹に、決して手に入らない富に対する妬みの気持ちが沸いてしまうことがあるのは、自然な感情でしょう。
けれども理屈から言えば、お金持ちでも心優しい人はいるし、貧乏でも性格が悪く強欲な人はいます。ところが「昔話」で繰り返し似たパターンを脳内に取り入れてしまうと、
お金持ち・・性格がキツイ→最後にひどいめにあう
お金持ちではない人・・性格がやさしい→最後に神様からご褒美をもらえる
という概念が刷り込まれます。
ネット界隈の、お金に対するネガティヴイメージ例
ネット界隈では、ユーチューブで多数のチャンネル登録者数を獲得していたり、ブログに広告を貼り収益化している人や、書籍を出版して印税を取得していると思われる人などに対して、コメントやレビューなどを見ると、しばしば
「お金目当てなのですね!」
という、ネガティブな感想を見かけます。これは不可解なことです。そのような感想を抱く人は、
お金という見返りを求めずに、無償で自分が欲しい情報提供をしてくれることを理想としているようです。これは不可解なことです。
勝手な理想を押し付けない
人は生活があるので、直接的にしても間接的にしても、基本的に対価が必要です。毎日会社に出勤して給料を受け取り、明日も同じ働きをできるための生活費を受け取っています。
(あまり知られていませんが、サラリーマンの給料は報酬ではなく、明日も今日と同じ仕事をするための生活費という位置づけです。)
ただ、その人によって、生活資金を得る手段とタイミングは違います。そのためにネット界隈で誰かがコンテンツを無償提供していても、ほかの分野で生活の糧を得ている場合は、無報酬で発信している場合があります。けれどもそれは、「たまたま」です。
また、最近は無料で利用できるコンテンツが多いので、収益化されていることを知るや否や、裏切られたような気持になる人がいるようです。
けれどもそれは、理想の押し付けにすぎません。
コンテンツを生み出すには相応の労力や経費がいる
確かに富豪であれば、ボランティア的に無料でコンテンツを発信しても問題ないのかもしれません。
けれども何らかのコンテンツ(ユーチューブ、ブログ、書籍など)を生み出す背景には、時間、労力、情報収集、学習、試行錯誤、検証、などがあります。
読み終えるのに1分しかからないブログでも、公開する背景には多様な労力がかかっています。
単純に、そうした労力や経費を回収しなければ、コンテンツの運営自体が困難になることがあります。
もちろん経費を回収してもなお、収益が上回り利益が出ることはあるでしょう。けれどもその場合は、コンテンツを生み出した人の正当な対価です。
テレビも多くのネット情報も、多くは広告収入などを対価にして、多くの人が無料で目にすることができています。
「お金は汚い」と考えるのはやめよう!
根底にあるのは「お金は汚い」という価値観です。けれども、そのような人に限って本音では「お金が欲しい」と考えます。
また、ネット関連で収益を上げている人に対しては「濡れ手に粟」のイメージを持ち、楽して収入を得ているように思うので、嫉妬からくるものもあるようです。
けれども優雅に泳いでいるように見える白鳥が、実は湖面の下では足を小刻みに動かしているように、お金を得る背景にあるのは、その人なりの多大な行動と試行錯誤の結果なのです。
お金があるからこそのゆとり
お金はないより、あるほうが便利です。
もちろん程度の差はあるでしょうが、少なくともスーパーで、ストレスを感じずに必要なものを買い物かごに入れられるくらいのゆとりは欲しいでしょう。少なくとも江戸時代の禅僧のような暮らしに徹したいとは思わないでしょう。
つまり一般の人は程度の差こそあれ、お金の必要性を感じているし、お金で得られるゆとりを熟知しているということです。
お金は使い方を間違えると確かに刃と化しますが、堅実に使っている限りはサポーターとなる頼もしい味方になります。
お金が欲しいなら、お金に対するネガティブな感情を捨てる
結論を言うと、お金はないよりもあるほうが自由度が高まり、たいていの困難もかなりのところまで解決することができます。
もちろんお金がすべてではないですし、お金があるから幸せ、ないから不幸せなどと決めつけるものではありません。
だからこそ、お金を欲しいのであれば、第一に必要なのはお金に対するネガティブな価値観を捨てることです。
お金は単なる道具
確かに世の中には、お金を誤った使い方をしてしまい困難にあってしまう人がいます。けれどもそれは、使い方の問題であって、お金そのものに原因があるわけではありませよね。
家庭で使う調理器具の包丁や料理人が使うそれ自体に問題はありません。時に恐ろしい事件を見るからといって、調理器具が根本的な原因なのではありません。
同じように様々なお金に関するトラブルもお金そのものに原因があるわけではありません。お金は調理器具と同様に、単なる道具なのです。
学校教育でようやくお金の教育が開始
最近は学校教育でようやくお金の教育が開始したそうです。日本は長らくお金の教育を受けない国でした。
だからお金の話はタブー視されもしたし、教員ですらお金の知識が少ない人も多かった可能性があります。
現代日本に必要なのは、お金の正確な知識
日本は今、お金のことで多くの人が大変な時期にあります。こうした時に必要なのは目をそむけることではありません。
きちんと向き合って、知識を得て、事実を知ることです。それは同時に「お金はいらない」とか「お金は汚い」というネガティブなイメージを変えることです。
お金にポジティブな気持ちになろう
もちろんお金をどの程度手に入れるかは各自の判断にゆだねられるにしても、「お金は汚い」という固定概念は振り払う必要があります。
お金に対してポジティブなイメージを持ち、自分をサポートしてくれる仲間だという意識を持つこと。それがお金とうまく向き合い手にする基本スタイルです。
まとめ
- はじめに
- 「お金は汚い」という価値観について
- お金に対するネガティブなイメージの根源
- ネット界隈の、お金に対するネガティヴイメージ例
- 勝手な理想を押し付けない
- コンテンツを生み出すには相応の労力や経費がいる
- 「お金は汚い」と考えるのはやめよう!
- お金があるからこそのゆとり
- お金が欲しいなら、お金に対するネガティブな感情を捨てる
- お金は単なる道具
- 学校教育でようやくお金の教育が開始
- 現代日本に必要なのは、お金の正確な知識
- お金にポジティブな気持ちになろう
- まとめ
- さいごに
さいごに
今回は「お金は汚い」という偏った考えを捨てて、前向きにサポーターとしてのお金と向き合おうという話をしました。
参考になればうれしいです。