はじめに
今回は、あらためてミニマリストということを考えてみました。
「ミニマリストの定義がどう」とかはどうでもいい
今更ですが、ミニマリストの定義とか正確な意味とかはどうでもいいんです。要は自分の生きざまみたいなことに、プラスに働くことがあるならば、自分流の解釈でそれでいいと思っています。
ミニマリストが自分にとってプラスになると思うから注目する
ミニマリストに注目したり、考えるのは基本的に自分にとってプラスに働くと思うからであって、マイナスになると思うなら無関係なこととして排除することでしょう。
例えば世の中の価値観はそれぞれなので、ミニマリストに一切興味を持たない人は当然大勢います。
それはそれで一向にかまいません。
『みんな違ってみんないい。』
なのです。
結局のところ、ミニマリストになると何がいいのか
さんざん、あちこちで語りつくされたことですが、結局のところミニマリストになると何がいいのでしょうか。
何をいいと思うかも人それぞれですが、私はミニマリストの以下のことがいいと思っています。
それはミニマリストになると、頭の中がスッキリすることです。ついでに言うと悩みを悩みと思うことが激減します。
ミニマリストの一般的な概念は、少ない持ち物で暮らす人ということでしょう。この少ない持ち物という物理的な持ち物を減らすと、頭の中の物理的ではないことも一掃されるのです。
こうしてみると、物理的な物と、モノではないこと例えば頭の中の思考は連動していることを実感します。
同時に、物理的なものと、そうでないものの違いの確固たる違いも実は、たいしてないのではないかと思えてきます。
頭の中をスッキリするには物理的な物をスッキリすればいい
いろんな思いで頭の中がゴチャゴチャするときは、その思考を何とかしようとするのではなくて、目の前の物をスッキリすればいいですね。
例えばテーブルの上のお菓子の袋、読みかけの本、ハンドクリーム、整理しようとしていたレシート、などなど。
テーブルの上がスッキリ片付いてもなお、それ以前よりも気分がスッキリしない人はまず、いないでしょう。
どこもスッキリ片付いていて、もう捨てるものも掃除するところもない場合は(そういう人がいるのかわかりませんが)、月末にやろうと思っていた窓磨きとか、ごみ箱をきれいに洗うとか、浴室の排水溝を念入りに洗うとか、壁や天井のホコリはどこもする必要がないという人も多分いないと思うのです。
メンテナンスは繰り返し必要
生きていれば、必ずどこかにホコリは積もります。ホコリが積もるのは決してうれしいことではありません。物は捨ててもまた何かしら増えます。
払っても払ってもまた、積もるのがホコリなんですよね。いくら物を減らしても、ホコリやその他のごみはどうしたってまた出てきます。
だから「これで終わり」といかないのは当然であって、定期的に物理的にも内面的にもメンテナンスをしなくてはなりません。
このメンテナンスをさぼると、ようやく到達したかに思えたミニマリスト的暮らしぶりも、あっという間に壊滅します。
それが生きているということでもあるので、それを繰り返すことを淡々と受け止めることが大事なのではないかと思います。
さいごに
今回は、あらためて「ミニマリスト」ということを考えてみました。結局のところ、物は減らしてもまた徐々に増えてくるのが常です。だからミニマリストというものは、注意深くメンテナンスしながら実践していくもののようです。
参考になればさいわいです。