はじめに
今回は、『1984年』というタイトルの、ジョージ・オーウェルの古典小説を紹介します。この本が出たのは1949年だそうです。つまり今から約70年も前です。
この小説は、世の中が不安定になると注目を浴びる作品(小説)だそうです。これまでタイトルは知っていましたが、読んだことはないので読んでみました。
※ネタバレありますのでご注意ください。
もくじ
- はじめに
- もくじ
- この小説を一言であらわすと
- 「こういうこともあるだろうな」と感じさせるリアリティ
- 『1984年』に登場するキーワードについて考えたこと
- ひと月、まともに読書ができなくなりました
- さいごに
この小説を一言であらわすと
この小説の感想を一言で表すと、「やるせない」です。ただ、それは最後の最後の文章を読むまでわかりません。
本を読んでいる側はそれがわかるけれど、主人公本人は、それを自覚しないで終わるところがの特徴的です。
結局のところ「長いものには巻かれるしかないのか」と、少なからず嫌気がさします。主人公はラストで『心から「ビッグブラザー」を敬愛している』のです。
ただしそれは、読む人の立場によっても感想は変わりそうです。私は終盤近くまで、主人公ウィンストンの立場に感情移入しながら読んだのでそう思いましたが、ラストでくるっと視点が変わる構造なんです。読者目線になるんですね。そのとたん、
「やっぱり、そうくるのかあ」
と、いろんな思考が、どっと押し寄せます。
なぜ、途中までは主人公に感情移入して読んでいるのに、ラストでは客観視できるかというと、それは「101号室」に入った当事者ではないからでしょう。
実質、心理的拷問とはいえ、当事者ではないから客観視できるのであって、ウィンストン本人、またはジュリアだったら、同じだった可能性は高いでしょう。
読者はそういう意味で、安全圏にいるからウィンストンのようなことになりませんでしたが、当事者だったらかなり怪しいと思います。
「こういうこともあるだろうな」と感じさせるリアリティ
一方で世の中には少数とはいえ、オブライエンが支持する側の人もいるわけです。そういう方が仮に読んだ場合は安堵と納得の感情を得るかもしれませんね。
とはいえ、中盤でウィンストンが手に入れた謎の(その当時)本の内容は、この本の核心でもあり、興味深い内容です。
「今の世界にもありえるかも」
と、ぞっとすること請け合いです。
『1984年』に登場するキーワードについて考えたこと
本作品には、いくつかのキーワードがあります。ここでは、そのなかの一部に触れたいと思います。
- 戦争は平和なり
- 自由は隷従なり
- 無知は力なり
『1984年』で上記の3つのスローガンは重要なキーワードです。これらは主人公が暮らす国を牛耳っている党のスローガンです。
これらをどう思いますか。
戦争は平和なり・・戦争⇔平和
自由は隷従なり・・自由⇔隷従
無知は力なり・・無知⇔力
全く矛盾しているので意味がわかりませんよね。
ところがあとで、この意味が判明しますが、これらは『二重思考』という、本作品の重要なキーワードと大きな関連があるんです。
戦争は平和なり
戦争の目的は、支配集団が自分たちの立場を維持することが目的というもの。でも通常は、自国の利益を守るか他国から利益を得るかが目的と思いますよね。でも、そうじゃなかったんです。
利益があふれてしまうと、今まで中間層や下位層にあった人たちが上層に位置する可能性をもってしまう。そうすると構造が変わってしまうから、社会構造を保つために戦争で剰余物資を使い尽くし、社会構造の維持を図るというものなんです。
だからこの場合、上層部の支配層にとっては戦争をは平和の維持につながるということだったんですね。
戦争は軍需産業の利益につながるという話は時折、見かけますが、要は支配層の維持のために必要のない戦争をやっているという意味です。こういうことって、近年もありそうななさそうな気がしてきました。
自由は隷従なり
後で気づいたのですが、3つのスローガンのうち、なぜかこれだけが中盤の「禁書」に出てきません。(「戦争は平和なり」と「戦争は平和なり」は出てきます。3つのうち、「自由は隷従なり」だけがウィンストンが禁書を読んでいるシーンに出てこないのです。読んでいる最中に連行されたのでウィンストンは当然ながら読者も知らないままストーリーが進みます。これはかなり重要な伏線だったと後で気づきました。
もし、ウィンストンが「自由は隷従なり」の箇所(があるとして)を読んでいれば、この先、後半に自分の身に起きることを予測できたはずです。もしかしたら、対策をとれたかもしれません。
ところが作者も意図したのでしょうが、ウィンストンもジュリアも読者も「自由は隷従なり」の箇所を読まないまま、クライマックスへ向かいます。
そして中盤の「禁書」を読んでいる中に記されるはずのこの個所は、ウィンストンがすっかり隷従した状態になってから(終盤)出てくるのです。
ひと月、まともに読書ができなくなりました
本書は意外にも、古典でありながら読みやすく、おもしろいと思って進めていました。ところが一時休憩しようとした途端、どっと疲れが出るのです。自分ではそれほど、多大な影響を感じていなかったのですが、何らかの大きなエネルギーに影響されたのかもしれません。この本を読んでからひと月くらい、まともに読書ができませんでした。
このような経験は、過去にあまり類を見ません。もしかしたら久しぶりに小説を読んだので疲れただけかもしれません。ですが、人によってはこんなケースもありますので、ご注意ください。
ちなみに「ゴーもん」についでですが、グロいシーンはありませんので、その点は心配無用です。
ちなみに、現在、同じタイトルの本は、こちらも新しく違う出版社さん&翻訳者さんのものが出ています。どちらが自分に合っているかは、相性があるかと思います。機会があれば、こちらも読んでみたいです。
さいごに
この本の概要はすでに、あちこちで言及されています。というわけで当初はあらすじなどを紹介しようと思いましたが、改めて書くことはしません。
でも、「読み進めやすいかどうか」に関しては、読み進めはしやすいです。ただし、ある種エネルギーを奪われる感があるので、調子が良くないときは避けたほうが良いかもしれません。
このような注意点はありますが、多様な価値観を知る上でも、この本は読んでおいてもよい本だと思います。