簡単に暮らせ

ちゃくまのブログ。女性ミニマリスト。FP。合理的な家事、家計管理、少ない服で暮らす、お金、節約、捨て作業のコツ。好きな事をして生きる。

『暇と退屈の倫理学』書籍感想・書評・ブックレビュー



こんにちは ちゃくまです。このブログは暮らしに関することをつづっています。

・ミニマリスト的な暮らし方 ・家事を簡単にする工夫 ・お金に関する管理方法(筆者はFPです) ・世間に惑わされない生き方 ・・など。お役に立てたらうれしいです。

暇と退屈の倫理学(新潮文庫)

はじめに

「この不可解な行動はいったいどこから出るんだろう。」

私は運動目的のウォーキングでは飽き足らず、コースを決めてわざわざ無味乾燥な道路を延々歩くことがあります。以前は低山とはいえ、山に一人で登りに行っていました。家でおとなしくしていれば良いものを、なぜわざわざ疲れたり緊張するような行動をとるのか。また、ある時はドラマや映画を見ては、もっと困難に立ち向かい過酷な経験をした人のストーリーを見て、波乱万丈な生きざまに感動し、少しでもその恩恵にあやかりたい、そのためにはどうすればいいのだろう。と考え「そうだ。『千里の道も一歩から』というじゃないか。まずは一歩、歩みだせばいい」とかなんとか考えて、実際亀の歩みで歩き出してしまいました。

本書を読んで、これらの謎が解けました。それだけではなく、興味深い気付きが多数ありましたので紹介します。

「暇と退屈」は定住で負荷がなくなったから

この本に書いてあることはまさに、私のことでもあると気づきました。運動しなければならないから歩くとはいえ、それだけじゃない何かがある。常に何かしらの負荷を求めている自分がいる。なぜなんだろう。

この本によると、それは人間が定住を始めたことに起源するというのです。もともと人間は「遊動生活」を送っていて定住を始めたのはわずか1万前からだというのです。一万年というと、長い歴史に思うかもしれないけど、そうじゃない。遊動生活を送っていたのは数百万年。その間、人間は定住せず大きな社会も作らず、人口密度も低いまま生きてきたという。

人間が定住することによって、それ以前の遊動生活で使われていた負荷が消滅したことを意味するとのことなのです。遊動生活では、新たな地で生活をはじめるときは緊張を強いられます。危険がないかを調べ、食べられるものを探し、生活に適した場所を探る。それはドキドキする瞬間だろうけれど、刺激に満ち溢れていたわけです。

ところが定住を始めると基本的に刺激は失われます。現状維持の生活なので負荷がかからないんですね。ましてや現代の暮らしなんて、さらに負荷がかかりません。それはつまり退屈で暇であるという現象を生み出してしまうわけですね。退屈や暇というのはそれ自体を受け入れれば少なくとも危険はありません。それでも人は、例えば私はわざわざ街散策をしてしまう。それもこれも、普段の生活に負荷が足りないから負荷を求めているということなのでしょう。本書を読んで、自分の行動原理もよく分かった気がしました。

それは過酷なスポーツや登山家、バックパッカー、旅行好きな人なども同じような行動原理があるのではないかと思いました。そう考えるとしっくりきます。

「持ち家か賃貸か」の気付き

また、一つ気付いたことがあります。それは「持ち家か賃貸か」の問いの答えです。この問いは視点により回答が変わります。ですが(お金なのか、暮らしそのものなのかなど)私の場合、一生同じ場所に住み続ける選択は、基本避けたい性分です。

同じように考える人は基本、賃貸派と考えることができます。ただ、持ち家だからと言って移住できないわけではないし、賃貸だからと言って定住できないわけではありませんが。実際は夫の転勤で何度も引っ越しをしていますが、夫の勤務状態がなくても、一か所に住む選択は耐えられなかったと思います。

定住(持ち家戸建て)という退屈に耐えられない予感があったのかもしれない

その証拠に、若かりし頃に一度戸建てを建ててしまったのですが、2年ほど住んだ時夫の転勤でその家を後にしたのです。もし私に定住志向が強ければ、きっと夫には単身赴任をしてもらい、その家で息子と夫の帰りを待ったことでしょう。ところがそうしなかったのは、「家族一緒の暮らしが大事」の思想があったからだと当時は思っていましたが、この本を読んで改めて思い起こすと、その根底には「今から一生、ここに住み続けるなんて変化がなさ過ぎて耐えられない」という思いがあったと思います。今では当たり前の定住ですが、そもそも人間にとっては不自然なことだったんですね。

整理整頓、掃除も定住が生み出したものに過ぎない

さらに興味深く読んだ内容があります。それは定住が「整理整頓」や掃除、トイレの概念を生みだしたことです。数年前に一世を風靡したこんまりさんの現象も、人々が定住をしていなければ見ることがなかった概念だったということです。同時にミニマリストなんて概念も不要だったわけです。

遊動生活においては、整理整頓もトイレも掃除も不要だったことが書いてあります。そりゃそうですよね。少人数単位で人口密度も低く、プラスチック製品など、その辺に放置して土に還らないものもなかったし、移動するときは全部そこに放置するだけだったんでしょうから。

これほどうるさく(?)整理整頓とか、捨てるとか減らすとかが叫ばれるのは、人々が定住をした結果であって、無条件に必要なことではなかったわけです。ところがおかしなことに「整理整頓できない人」が時に病気扱いされたり親から子供が叱られたり、家族間で険悪な雰囲気になることもあるわけです。

さいごに

本の趣旨と話がそれましたが、暇と退屈の根源がこんなに意味深いものだとは思いもよりませんでした。

ほかにも興味深い話題が本書には続きます。興味ある方はぜひご一読ください。参考になればうれしいです。